1984-10-05 第101回国会 衆議院 地方行政委員会 第28号
その直後である七月八日から九月二十五日まで五回にわたって間々田という警察官と、それからもう一人おりますけれども、主に間々田なんですね、間々田警部補と会合して警察に情報を提供させて、その謝礼として合計十一万円の金銭をやっておった。そういうことが事実認定されています。
その直後である七月八日から九月二十五日まで五回にわたって間々田という警察官と、それからもう一人おりますけれども、主に間々田なんですね、間々田警部補と会合して警察に情報を提供させて、その謝礼として合計十一万円の金銭をやっておった。そういうことが事実認定されています。
この「背叛社」の裁判の中で、警視庁公安一課の間々田警部補が上司の承認を得た上で和田俊一という男に五回にわたり十一万円もの金を渡した。これが和田自身の口から証言されているのです。
そうしますと、間々田警部補のような問題になると、十一万円、これが爆弾製造犯人に渡って、本来ならば住民の公序良俗、秩序、安全を守るべき警察がそれに反するようなことに金を使ったのに対しても、会計検査院は全然そのまま見過ごす、これじゃ私は警察の予算なり決算というものはきわめて乱脈になっていったってやむを得ないだろうと思うのですよ。
これは警視庁の間々田警部補が十一万円余をあの背叛社のいわゆる爆破犯人に渡して、それで爆破練習が失敗してアパートが爆発した、これは公判廷でちゃんと証言しているわけですね。こういう人間に対して、はたして渡した、受け取りましたというような証拠書類、この二十五億六千八百万余の全額について、協力者なり何なりに渡した、受け取ったという明確な証拠書類ははたしてあるのかどうか。
○林(百)委員 これは、判決で確定したものですから、この前も私お聞きしましたが、たとえば背叛社の、間々田警部補が和田俊一に渡した十一万円。彼らはこれを軍資金と呼んでいるのですが、そのほかまた十九万円渡しているわけですが、こういう金はこういうところから、捜査費から出るわけですか。これは判決で確定した数字を出しているのです。
間々田警部補は、そのほかにも十九万円にのぼる和田の医療保護手続を世話していたのである。和田はその「軍資金」で「火炎ビンに使う硫酸やビンを買った」がさらに間々田から、「共産党本部だけでなく自民党と」」——よく自民党の諸君も聞いておいてください。「「自民党と公明党の本部も襲撃したらどうかと指示された。治安立法がしやすい、という話だった」」これは毎日新聞。
○渡辺武君 ところで、おととしだったと思いますが、おととしの八月六日に開かれた同じ暴力学生集団のアナーキスト団体ですが、背叛社という団体があります、この団体の爆発物取り締まり規則違反事件の東京地裁の公判に際して、警視庁公安一課の間々田警部補という人が情報を取るためと称して多額の金を背叛社の責任者とみなされる和田俊一なる男に渡して、さらに自民党本部を襲撃したらどうだというようなことまですすめていたことをこの
アナーキストの背叛社グループに属する和田俊一というものが、最近東京地裁の公判廷で、私は警視庁公安一課の間々田警部補と、爆発事件のあった昨年十月六日以前から連絡を持っていた。火炎びんに使う四合びんや硫酸は間々田が上司の許可を得てもらってきた軍資金で買った。間々田から、共産党本部だけでなく、自民党と公明党の本部も襲撃したらどうかという指示をされていた。
○三井説明員 ただいまの御質問の点は、八月六日第八回公判における間々田警部補に対する証人尋問がございまして、そのときに、被告人であります和田俊一が、反対尋問をいたした中で言っておるところでございます。和田俊一と出頭いたしました間々田警部補が会っておった、また間々田警部補がアナーキスト・グループであります背叛社の動きにつきまして、その動向について情報を得ておったということがございます。